ヨーロッパのレアリズムII アントニオ・ロペス インタビュー

200848日 Fragmentos Puentefuente
Antonio López García


 Fotografía: Bernardo Pérez

アントニオ・ロペスの回顧展が、アメリカのボストン美術館で2008年4月13日から7月21日まで開催される。また日を少しずらして4月20日からはスペイン絵画の二人の巨匠グレコとベラスケスの展覧会も同美術館にて開かれる。アントニオ・ロペスに行ったインタビューは、アンヘレス・ガルシアÁngeles Garcíaによるもので、エル・パイス新聞に2008年4月3日に掲載された。


 グレコとベラスケスの展覧会と共に展示をされるのですが、この企画はどのように持ち込まれましたか。
 詳しいいきさつは分かりません。主催者は17世紀の作品の展示会に、現代の作家の展示を合わせて企画を成したかったようです。そして僕を考えました。それらの作品との美的とか調和をもてる何かを見ました。この美術館は20世紀の具象美術を集めたニューヨークの収集家たちが寄贈した作品を展示しています。そのコレクションには近年に制作されたスペイン美術もたくさんあり、僕の作品は12点あります。

 一年前に結局は中止となってしまった、ベラスケス造形芸術賞*に関連して企画されたレイナ・ソフィア美術館での回顧展と何か関係がありますか?
 何の関わりもありません。あの展覧会が開催されなかったのは、準備の時間がなかったからです。前に展覧会のあった1993年以降の作品を、その続きとして展示すべきものでした。同じ都市と場所で一度見られた全ての作品を引きづり開催するつもりはありませんでした。ボストンでは、見に値する時期からの僕の作品が展示されます。僕も展示作品の選択に加わりましたが、過去に何度と起こったことですが、貸してもらえないため、足りない作品も何点かあります。

 特別痛いなあと感じる不在の作品はありますか?
 名前はあげたくないのですが、でも本当に展示されたらどんなに良かっただろうと思えるのはテラスで遊んでいる女の子の絵でした。かないませんでしたが。

 未完成の作品が運ばれますか?
 もちろんです。また、終わっていないとはどういう意味ですか?誰もそれを知りません。中身となるものが十分に濃いものとなっている時には作品は完成しています。

 あなたの家の地下室にはそれらの未完成の絵画の作品群がしまってありましたが、その中に『マルメロの陽光』のビクトール・エリセ監督にインスピレーションを与えた絵画がありました。
 マルメロの絵画は売れました。三ヶ月続いた撮影の間、一枚の素描と一枚の絵画を描きました。両方とも売れてしまいました。終わってなかったのは絵画のほうで、素描の方は完成してました。

 あの映画でなにが思い出として残ってますか?
 素晴らしい思い出です。この世界についての偉大なる物語です。アンリ・ジョルジュ・クルーゾーの『ピカソ-天才の秘密』(1956)よりもずっとよい映画です。

 似たような映画の計画を持ち込まれたことはありましたか?
 ありましたが、でも一度で十分です。

 映画とは違って、外国におけるあなたの展覧会は頻繁に繰り返されています。マールボロ・ギャラリーといったつながりがそのような方向へと影響を与えましたか?
 分かりません。なるようになりました。1960年から1970年の間にフアナ・モルド女史がイタリア、フランス、ニューヨークといった彼女のギャラリー外での展覧会の企画をしました。戦略はありませんでした。僕の来た道はそうでした。かなり希有なことです。

 典型的ではありませんが、浮き沈みもありませんでした。停滞を感じたことはありますか?
 長い間感じることはありませんでした。僕は、僕の仕事と僕自身に忠実ですから今も続けています。僕は72歳で、このインタビューのために銑鉄から直接来ました。いつも同じ希望を持ち続けています。誰にでもある壁にぶつかったときにも僕は仕事を続けてきました。

 あなたの制作の仕方についても、特に画期的な変化というものが見られませんでしたが。
 それは違うと思います。過激な変化はありませんでしたが、でも変化はあります。しかも沢山です。あまり人々にその変化を語られずに、でも最も変化のあった芸術家は誰だか知っていますか?ベラスケスです。彼の作品を総括的に見ていくとそのことが分かります。セビージャ時代の暗がりの絵から『ラス・メニーナス』や『糸を紡ぐ女たち』に見られる光と色の至福まで見ると、彼が成し遂げた広大なそして深みのある道のりを察することが出来ます。ピカソやゴヤの変貌についてはよく語られますが、でも誰もベラスケスほど変化をしませんでした。彼は変化しようと変化したのではなく、単に人生が彼を変えたのです。僕の場合も同じです。人生が人を変えてしまうのです。とてつもなく深い変化というものは、それを認識していることに限ってその本質を実際に価値のあるものとして評価することが出来ます。

 あなたの絵画は特別にアメリカの収集家たちに受け入れられました。
 それはニューヨークにおいてです。ニューヨークをアメリカ合衆国として僕は考慮し、定期的に展示しています。1965年に初めて展示しました。そのつぎは1968年でした。その当時ポップ・アートが生まれ、そのときにアメリカでのリアリズムが生じました。人々は具象表現にとても敏感で、ポップ・アートの芸術運動の動きと、そのとき僕が代表とされていたヨーロッパのリアリズムを比較することに関心を寄せました。でも僕は批評文でそれを知ったというのは、1985年までニューヨークには行かなかったからです。沢山の映画を観て、都市を知っていましたが、実際に行ったことはそれまでありませんでした。

 そしてついに映画の中に入ったのですね。
 そのような感じはなかったです。強烈な衝撃はありませんでした。小さく見えました。全てが暫定的でした。何年か後にまた戻ったときも、同じで、何の印象もなかったです。もしかしたら大都会に飽きているのかもしれません。

 関心がないという...
 飽き飽きです。僕はマドリードに関心があります。僕の作品の大きな主題となっています。でもそれはマドリードが好きというよりも、関心があるから制作しています。

 あなたの作品の主人公ですね。
 ダンテにとっての煉獄(プルガトリオ)みたいなものです。大きなテーマというものは僕たちの暮らしの中で何か心を奪われるものであるのが常です。僕にとってマドリードはそうで、ニューヨークがなることは絶対にありえないことです。アメリカ合衆国を知らずに、でもそのいわゆるもっとも小さなアメリカを知りたいとは思います、深いアメリカと呼ばれるものです。

 あなたは映画愛好家ですが、その恐怖と深いアメリカをどのように映し描いたかを観られたと思います。
 も ちろんです。すでに西部映画の頃から、コーエン兄弟の『ノーカントリー』のような、完璧に仕上げた映画などに、それらのアメリカの肖像を観ていました。 フィルム・ノワール(黒い映画)において、大都市は、素晴らしいかたちに映し描かれました。アメリカ人は、彼らの都市を映すときにとても大きな利点があり ます。それは彼らの歴史がとても浅く、19世紀と20世紀に存在していることです。それからアメリカ人監督たちの偉大なる才能を忘れてはなりません。彼ら は映画の前の芸術、絵画や彫刻に頼っていません。というのはこれらは、製作の方向を迷わせる可能性を持っています。ヨーロッパにおける、ギリシャ文化を振 り返った新古典主義に注目してみてください。アメリカ人はそれがありませんでした。だからとても活気のある芸術を持っています。

 もっと活発なのか、またはもっと貧しいことですか?
 とても率直です、そしてそれが絵画、彫刻、文学、映画といった全ての芸術的表現のために素晴らしいことだと思います。堆積するものまたは深い根のある全てを持ち合わせてないのかもしれない。それは僕たちヨーロッパ人に関連する、彼らの大きな利点です。

 今はどの現代芸術家に興味を持っていますか?
 現代ということが何なのか分かりません。スペインに着くまでに多大な困難があるという状態で...

 市場の所為ですか?
 まずはアメリカを飽和させなければいけなくて、それで溢れたときに、物事は外に出てくるわけでして。

 あなたは旅行はあまり好きではありませんでしたね。
 僕たちの世代はたとえ必要だとしても旅行しませんでした。どのようにしたらいいのかという慣習がありませんでした。僕の仕事はある一定の場所にながく留まらせるものでした。ともかく、僕はよく旅をします。地下鉄に良く乗ります。よく言われている、一人の女をよく知ることは、女というものを知ることだ、と同じように、あるひとつの場所を知ることは、僕の場合はマドリードですが、全ての場所を知ることです。僕がそう決心したわけではありませんが、僕はそのことについて心から信じてます。僕は僕の人生を決めていない、そんな感じがします。僕はなにかに従順でそれが僕にある特定のやり方で物事を行わせてきました。そんな気がします。

 ラファエル・アスコナが言ってたことは、もっとも尊厳のある境遇や最もみすぼらしい境遇というものは、その人の決断とはかけ離れているものから来る、ということです。
 僕たちの世代は、見つかる空間において動き回ってました。僕たちの後についてきた人たちは、終わりのない空間で動き回ることが出来ました。僕たちには出来ませんでした。それぞれの時代に生まれてくるものがその時代に与えるものを受け止めなければなりません。ある情況が僕たちに何も与えてくれませんでした。それはいいことについても悪いことにつけてもです。

 不満のしこりは全くないですか?
 全然ありません。素晴らしい幼少時代を過ごしました。よく食べれましたし、喜びに満ちて仕事をしましたし、素敵な人々と出会いましたし、とても自由な人生を過ごしました。あと何を求めますか?

 ほんの少しですね。今はどんなことをなさってますか?
 僕が最後に描きに出掛けたのは地下鉄に乗ってグランビアに向かいました。描き始めたグランビアの6点からの視界の作品があります。グランビアが始まるアルカラ通りから、最終点のスペイン広場までです。屋外からの視点の作品は6点、屋内からの視点のものが1点です。それから今はアトーチャ駅のために制作した二つの頭部彫刻を終わらせなければなりません。約3メートルの高さです。今三歳になる僕の孫娘の頭部を表現したもので、制作を始めたときには一歳でした。一点は眠りについたもので、別の方は起きているところです。それらはアトーチャ駅のためにと勧業省の依頼です。一ヶ月半後には、超高速列車ホームへの入り口ホールに設置される予定です。

 もうかれこれ10年ほど描いている王室の家族の肖像はどのようになってますか?
 進んでいます。でもこの絵を依頼作品として扱いたくないです。いつも僕がやってきた仕事の運び方と同じようなやり方をしたいです。力を入れたくないのです。

 ということは進んでないということですか。
 期限をつけました。10月です。

 それは何か...
 そうですねえ、とても難しいといわれることをやり遂げました。1993年に煙草をやめました。それから吸っていません。吸ってる夢を見ますが...すべて状況を見ていると、大切なことは物事がうまく収まることです。王室の家族の肖像画というテーマを作り直すことは多大な努力です。誠実さを伝えなければならないし、すべてを理解をしなければなりません。どうしてこの依頼をあえて受けるということをしたのか分からないです。モデルのためにポーズを取ってくれたとは実際いえませんし、僕はそのようには制作しません。この肖像画は何枚かの写真をもとに制作されました。フランシスコとフリオ・ロペスと僕とでバジャドリッドにある彫刻を制作しました。でも絵画表現は別のものです。描いたものの続きとして、あるテーマに関して写真を用いて手を加えなければなりません。

 以前に、今の時代には良く出来上がったものを評価しないとおっしゃってましたが。
 貢献は、現代であるという期待を満たす意義を持つものでなければなりません。もしもその価値を持たなければ全て、よくできたとか、職の熟練だとかと理解されてあまり役立つものではありません。

 何の期待を言っているのですか?
 具象画のために貢献する新しい芸術表現を持っていなければなりません。現在の絵は、別の時代の絵画と似通うことはできません。霊的、倫理的、美学的な要素を持ち、普段それらの領域外で制作されるその瞬間を示すものの集合が絵になければなりません。そこだけに具象の空間があるのです。そして当然のことながらよく出来上がったものでなくてはなりません。それは抽象画においても同様です。でももうよい出来については語られる事がなくて、驚かせることについて語られています。全ての時代の偉大なる芸術は、いつも内容が奥行きを持ち、その表現の見せ所は、魅了するものでなければなりません。それが難しいことだとは思えませんが、ただ足りないことは、それをやらせてくれるかということです。もしも始めから、足蹴りするなら先行きは暗いものです。

 あなたの具象はいつも良く理解されていませんでした。
 僕はそんな印象を持っていません。僕の初めての展覧会は1955年でした。その時に僕たちは、具象ではない芸術家たちと同様にモダーンでした。全てに伝統であることととの断絶は、具象と抽象から行われていました。収集家たちとギャラリー主たちは、全てのことに同じ人々でした。無理解はいつもあることです。僕にも、バルセロにも、ピカソに対してにも起こったことです。僕はピカソに飽きています。でもそのことは何の意味を語ることではありません。

 ピカソに飽きてるのですか?
 僕はうんざりしています。あまりの多くのことを乱用したと思います。すべては進展するのです。僕は具象と抽象について話すことについても同じように飽き飽きしています。

*ベラスケス造形芸術賞  2006年第5回ベラスケス造形芸術賞をアントニオ・ロペス・ガルシアが受賞。この賞は、2002年からスペイン文化省がスペインおよびイベロアメリカ諸国の造形芸術家に授与するもので、賞金90.000ユーロ、レイナ・ソフィア美術館での展覧会の開催、35歳未満の芸術家をベラスケス奨学生として受賞者が選出できるもの。その他の年の受賞者は、ラモン・ガジャ、アントニ・タピエス、パブロ・パラスエロ、メキシコのフアン・ソリアーノ、ルイス・ゴルディージョ、ブラジルのスィウド・メイレリス。
翻訳 小田 照美 2008年4月8日 Fragmentos Puentefuente

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