Joan Miró

2006年11月28日  Fragmentos puentefuente
 


展覧会
Joan Miró 1956-1983
Sentimiento, emoción, gesto
Fundació Miró Barcelona
2006年11月24日から2007年2月25日まで。
バルセローナのミロ財団にて、1956年から1983年まで制作されたジョアン・ミロの作品展示。
ミロは、多くのインタビューや対談に応えたが、その抜粋が新聞に載っていた。
  • 僕は、生じゃない、ありとあらゆる用意周到の知的探索はしない。詩人のように言葉が浮かんできた後に考えて画家は描くのだ。人間の幸福について書こうとしませんか。その反対だとしたら、僕たちは迷い込んでしまう。
    (1951年Georges Charbonnier との対談、1959年発表)
  • 花という花は素晴らしいものだけれど、僕にとっては木によってもっと驚嘆させられる。すべての花々をあわせるよりも、一本のイナゴマメの木からもっと感銘を受ける。飛行機の中から見る風景のように、女性にはリズムがある。リズムそのものだ。飛行機から見える風景のリズムはなんて素晴らしいものなのだろう。歩いていけば、一人の農民、一個の石、周りと違った色の土地が見えるけれど、それにも大いにリズムがある。列車や車からは何も見ることが出来ない。すべての風景は飛んでいってしまう。
    (インタビュア Camilo José Cela    Papeles de Son Armadans 1957)
  • 空の景観は僕を虜にさせる。広大なる空、月の上弦、あるいは太陽のある空を見 る僕は混乱した気分になる。僕の絵の中には大きな無空間の中にほんのちっぽけな形がある。何もない空間、何もない地平線、いつもだが、すべてのものから解 き放たれている空に感銘させられる。〔中略〕わたしのアトリエは菜園だと思っている。あちらにアーティチョーク、こちらにジャガイモがある。果実が育つた めには葉の剪定をしなければならない。ある決められた時期には葉を切り落とさなければならない。菜園の雇われ人やブドウ園の番人のように僕は制作する。 〔中略〕すべては自然のなるままに流れる。育ち、熟す、接き木は欠かせない。レタスを栽培するように水掛をしなければならない。このように僕の心は成熟す る。そんなわけなので、いつも僕は何点もの作品を同時に制作するわけです。
    (編集Yvon Taillandier, 1959, De trabajo como un hortelano)
  • 僕が僕よりも若い世代の画家たちに影響を与えたと君が言うけれども、もしかし たらそうかもしれないが、しかし同じように言えることは、僕が若い時代には、とても大きな影響をもたらすものがあったことも事実です。それは特定の画家で はなく、精神状態そのものです。空気の中には泡や埃が浮かんでいて、否応も無しに降りかかってくるのでした。
    (インタビュア Rosamond Bernier 1961)
  • 何年か前に、大きなサイズのキャンバスに、一本の短い白い線を描き、さらに別 のキャンバスに青い線を描きました。それからある日のことですが、起こってしまいました...あのかわいそうなカタルーニャ主義者Salvador Puig Antichへのガローテ死刑執行の瞬間です。その時が来てしまったと僕は察したのです。彼が殺害された日でした。あのキャンバスを仕上げたのは、彼が殺 された日でした。僕はそのことを知りませんでした。〔中略〕それは全然知的なものではなく、ほんの少しの魔法のような偶然の一致というか...どのように 言ったらいいのか分りません。
    (Georges Raillard  Conversaciones con Miró  1977)
  • ある芸術家が、自由解放が困難な状況に置かれていると述べるときには、作品一点一点を否定の否定へと変化させなければならないし、すべての作用、すべての固定観念、すべての世にある偽の価値観から解放させなければならない。
    (1979年バルセローナ大学名誉博士号授与のときに行った講演文より)
Fundació Miró の公式サイト(カタラン、カステジャーノ、英語)

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