『未亡人たち』 アントニオ・ムーニョス・モリーナ 

PUENTEFUENTE 20056


     ヴィセンテ・アレイサンドレ注1に言わせると、詩ではおやつを食べるのがせいぜい関の山で、食事にはありつけないという。でも、詩人ラファエル・アルベルティ注2の 相続権については、石油王の遺産相続よりももっと騒乱を起こすような気配がする。遺されてしまった数々の詩作品の憂鬱なる高尚尊厳について触れるかわり に、公証書類の氾濫の中、何時から死目前の老衰の朦朧としたもやの中で彷徨う状態に置かれていたのか分からない老詩人の遺言を単に疑うというより、むしろ 紛糾の災難として各新聞は取り立ててる。もうかれこれ何年も前からのことだが、アルベルティの写った写真に僕がみたものは、活力のほとんど無い見るに見か ねぬ疲れ果てた肉体の亡霊であった。それは、長い歳月のあいだ水兵帽子を被り続けたアルベルティのパロディをまたパロったちゃかし劇で、彼の帽子と長髪を 模倣するために白髪のかつらをつけたラファエル・アルベルティの様相をした無気力のヨレヨレの男が生の世界に彷徨う別世界の異邦人のように、彼の功績を讃 えた祝宴の席、社交的パーティ、彼に捧げた敬意を込めた祝賀会に出向いている姿であった。
     遠く遥かなる 人生最期の老衰期に迷子になった老人が、もうその頃には到底デッサンも版画も制作出来なかったのにもかかわらず、作品収集用・紙ばさみを抱えては、展覧公 式発表会や大西洋を渡る長旅も含めた、超ハードな社交生活を送っていたということに、その時には誰もウンともスンとも言わなかったにもかかわらず、今に なってどうしてこれほどまでに物議をかもし出すのかと不思議におもえる。エル・アルバ・デル・アルエリ株式会社(EL ALBA DEL ALHELI とはアルベルティの詩の作品タイトル)と 称する商社が存在することや、それと同じような次元の様々なことも奇怪ではあるが、しかしながらサルバドール・ダリがやっとの思いでダリを装っていたのと 同じく、アルベルティを装っていたアルベルティを当時首相立候補者であったホセ・マリア・アスナールが宣伝的旋風劇的に訪問したことは、尚更に奇奇怪怪で あった。どうして現アスナール首相が聖なる塗油のようにアルベルティを伝統文学の象徴として思ったのか、またどうして保守主義の人々が、対照的にとても左 翼思想者と考えられる作家たちに熱烈的に魅かれるのかという意図は分かっていない。ホセ・マリア・アスナールの会見の笑みに対して、どうして、あんなにカ メラマンが居てフラッシュを焚いているのか、一体自分が誰と話してるのかさえ分かっていなかっただろうというアルベルティの突拍子もなく出し抜けな表情を 映した光景を僕は忘れることは出来ない。
     でもこのよう な政治的しがらみの厚顔無恥の行動よりも、さらに不快感を僕に与えることは、このような年老いて哀れな男に対してほんの少しの同情も寄せないということで あった。このような年になり、肉体の限界状態になったのなら、老人たちには少なからず静寂の中で介護をしてもらえると言う権利があるし、また政治的な野心 あるいは寄生虫的人物たちの利害関係のために、亡骸同然の身体を公衆にひけらかすことをさせなくてもいいんじゃないか、と僕は思う。
     僕はラファエ ル・アルベルティと二度ほど近くで会ったことがあるけれど、彼個人にも彼の作品にも特にこれといって魅かれたことはない。だからといって、彼の詩を愛する 人たちや、親密な間柄にあった人たちが、このスキャンダルは愚弄であると感じることに僕が共感することを否定することにはならない。この件で不信感を僕に 抱かせるのは、昔から何度も繰り返えしては起こる功績著名の未亡人を非難・侮辱するという常套逸話である。それは故人の最期に起こった様々な出来事の全責 任を未亡人に擦り付けるということである。アルベルト・モラヴィア注3の 最後の夫人、カルメン・ジェラについて身の毛のよだつような凄まじいことを言われていたし、その後マリア・コダマについても同じように話題が尽きなく語ら れている。結局のところ、アルベルティの未亡人についても同じで、この女たちは、結婚した男たちを誘拐したも同然に、彼らの意思を自由に操り、友情を引き 裂いてしまい、遺産を独り占めするために罠を仕掛けたのである、と言われている。
     このような陰 口のひとつも詳しくは聞いてないし、また知りたいと言う興味もない。でもその噂話の一つ一つが真実なのか虚構なのかということではなく、これらの陰口の定 番として、常に女たちの腹黒い悪意と誘拐されてしまった潔白な年老いた芸術家たちの相対関係が繰り返されるのであった。同じ筋がきと同じ背景で、あばずれ 女は良心な男をすっかりと別人に変えてしまい、法律にのっとった合法的な家族から奪ってしまうのであった。でも、僕が知る限りにおいては、モラヴィアもボ ルヘスもアルベルティも当然のことながら生まれ持った不実な未亡人たちの手の内に嵌ってしまったわけではない。彼らの側にだってこのような連れ合いを選択 したということの責任があるし、それがすべての人生を投げ出しても夫に貢献するという熱意を示しながら、へつらいで老人の鈍さの面倒を見るもっと若い女性 たちだったとしたら、なにかしの歓喜とまたかなりの虚しさを感じることであろう。後々に乱用できる可能性のある特権を伴侶たちに与えると言うことを彼ら自 らは認識していたのである。男と女の関係において一方が罪があり、もう一方が潔白であると言う明白な境界線を引くということは危険なことである。僕たちが 行う行為の責任はたとえ死んでしまったとしても、僕たちから拭い取ることは出来ないのである。

この記事はエル・パイス新聞・日曜版付録誌『エル・パイス・セマナル』に掲載されたものです。掲載月日はアルベルティが亡くなって何週間の頃のものとご了承ください。


アントニオ・ムーニョス・モリーナ 作家 1956年ハエン県ウベダにて生まれる。マドリードにて報道学科の教育を受けるが、後にグラナダ大学の美術史科の学士課程終了。グラナダには1974年まで居住。後にマドリードにて生活。スペイン王室文学アカデミー会員。現在はセルバンテス協会ニューヨーク支部館長任務、ニューヨーク在住。
夫人は、エル・パイス新聞でコラム掲載およびスペインの青少年シリーズ小説の人気主人公マノリト・ガフォタスの生みの親でもある女流作家のエルビラ・リンド。

アントニオ・ムーニョス・モリーナ文学作品
随筆
 CORDOBA DE LOS OMEYASオメージャスのコルドバ』(PLANETA,1991)
EL ROBINSON URBANO都会のロビンソン(SEIX BARRAL, 1984, 1993, 2003 ),
DIARIO DEL NAUTILUSノーチラスの日記 (1985)
LA HUERTA DE EDENエデンの農園(1996),
PURA ALEGRIA純粋なる喜び(1996),
LA VIDA POR ADELANTE前向きのための暮らし(2002),
小説
BEATUS ILLE彼は幸せである(SEIX BARRAL,1986, 1999イカロ文学賞受賞作品)
EL INVIERNO EN LISBOA冬のリスボア(SEIX BARRAL,1987, 1999.批評文学賞およびスペイン国文学賞受賞作品)
BELTENEBROSベルテネブロス(SEIX BARRAL,1989, 1999),
EL JINETE POLACOポーランドの騎士』  (SEIX BARRAL,1991, 2002. 1991年プラネタ文学賞受賞および1992年スペイン国文学賞受賞作品。
LOS MISTERIOS DE MADRIDマドリードの謎 (SEIX BARRAL,1992, 1999),
 EL DUENO DEL SECRETO秘密の主(1994)
NADA DEL OTRO MUNDO(1994),
 ARDOR GUERRERO情熱の戦士(1995),
PLENILUNIO満月(1997),
CARLOTA FAINBERGカルロータ・ファインベルグ (2000),
SEFARADセファラード 2000
EN AUSENCIA DE BLANCAブランカの不在(2001).

注1ヴィセンテ・アレサンドイレ 1898年セビージャ生まれ、20世紀スペイン現代詩文学を代表する詩人。幼年期にはマラガで過ごすが、13歳のときにマドリードへ移住。1949年からスペイン王室アカデミー会員。1984年没。

注2ラファエル・アルベルティ 1902年カディス県 プエルト・デ・サンタ・マリア生まれ。1917年、15歳のときにマドリードへ家族と移住。絵を描き、展覧をする。このころから詩を書くことに興味を持ち始め、1924年 には、『大地の水兵 MARINERO EN LA TIERRA』の詩作品にてスペイン国文学賞を受賞。審査員にはアントニオ・マチャード、ホセ・モレ ノ・ビジャ、ラモン・メネンデス・ピダル、ガブリエル・ミロ、カルロス・アルニチェス。ラ・レシデンシア・デ・エスツディアンテスに頻繁に通い、同世代の 芸術家と友情を深めた。1931年に共産党へ入党し、市民戦争では真っ向からリーダーとなり、反ファスシスタ・インテリジェンス同盟の議長でもあった。フランコ総統の勝利でスペイン市民戦争の終戦の1939年には亡命生活が始まり、まずはパリへ移住した後、1963年まで住んだアルゼンチンへ。その年にローマへ移住し、文学活動とデッサン活動を行っていた。フランコ総統の死亡後1977年には最終的にスペインに帰国。その年にPCEスペイン共産党の議員となるが、まもなく辞任。しかしながら党員としては1993年まで入党していた。聖・フェルナンド・美術アカデミー会員。バレンシア国立大学、マドリード国立大学の名誉博士、故郷のプエルト・デ・サンタ・マリア名誉市長であり、アンダルシーアとカディス県の『秘蔵っ子』名誉市民。1965年にはソビエト連邦から、レーニン平和賞を受与される。1993年アルベルティ財団を開設。19991028日に彼の故郷プエルト・デ・サンタ・マリアで死去。

注3アルベルト・モラビア(アルベルト・ピンチェルレ)(イタリア19071990
ローマ生まれの作家。処女作『無関心』(1929)でイタリアにおいて知られ、『まやかし』(1941)においては第二次世界大戦のファスシストをテーマにしたため、権力機関から追跡のため逃亡生活を送る事をよぎなくされた。その他『ローマの娘』(1947)、『倦怠』(1960)、『うそ』(1965)、『観察する男』(1985)、短編集『ローマ物語』
 EL PAIS 『未亡人』アントニオ・ムーニョス・モリーナ ©翻訳 小田照美

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