現代美術に関する座談会 

paradojas  2008年2月29日 Fragmentos puentefuente


マドリードで開催されたアートフェア《アルコ》の期間中の215日金曜日にエル・パイス新聞主催の座談会の内容が 新聞に載っていた。とても興味深かったし、自分で普段思っていることなんかを共有することもあったので日本語にしてみました。作家で王室アカデミー会員で あるアントニオ・ムニョス・モリーナが座談会の進行役となり、話し合いの問題点となることをまず掲げ、参加した芸術家・エデゥアルド・アロージョ、ジャウ メ・プレンサ、ソレダー・セビージャ、セルヒオ・プレゴたちや美術評論家であるフランシスコ・カルボ・セラジェル、キュレーターであるカルメン・ヒメネ ス、カサ・エンセンディーダ館長のホセ・ギラオが意見を述べた。テーマは、現代美術における矛盾から現状を語るもので、世界中で起こっている問題点、ヨー ロッパにおけること、さらにスペインでの問題点など、美術館を管理する側、芸術家たち側、また鑑賞する側からの視点から語っている。
はじめに進行役のムーニョス・モリーナが現代美術における矛盾点を挙げた。
アントニオ・ムーニョス・モリーナ  一 つ目ですが芸術において断絶ということが規範となっている点です。それらの問題が引き起こす矛盾ですが、何かに対して抵抗するためには、支配力に反抗する ということで、この場合消え去ってしまいました。さらにこの挑発があるためには、挑発されたとか、物議をかもし出されたなどと感じる人々の不動の支配体制 があるということです。
二つめの矛盾は、作品の中から説明が生まれてくる代わりに、多くの場合ですが、作品が説明から生まれることです。また説明が作品よりも重要性を受けていることもあります。そしてこれもまた多くあることですが、説明が作品に取って代わってしまうことさえあります。2003年のヴェネチア・ビエンナーレでのスペイン館では、入館できないというテーマでしたので、何もありませんでした。次のサンパウロのビエンナーレでは、作品の無い、説明だけのビエンナーレです。
三 番目の矛盾は、作品は作品そのものが独自に語らないということで、説明に従属していて、そこでその説明をする人が誰かということが重要点になってきます。 ここでまた別の転換が生じます、というのは多くの場合において、花形は芸術家ではなく、説明をする人だからで、それはキュレーターと呼ばれる美術館企画管 理者です。
次の矛盾は、美術館は芸術家の前に位置している事です。 以前は芸術作品蒐集と美術館という芸術保護循環がありました。個人の収集家たちは、危ないことかもしれないと知りながらもギャラリーから絵画を買い、歳月 を経てそれらの作品を美術館に遺贈しました。その経過した時間が濾過器の役目を果たし、美術館は、芸術保護循環の流れの最終的な到着地でした。現在におい ては、興味深いことに多くの場合ですが、芸術家が存在するのは美術館が存在するからです。それはどうしてかというと、具体的にスペインにおけることです が、非常にたくさんの現代美術館があるので、芸術家たちで埋め尽くしたり、芸術家がその作品の説明とともに出向いたり、その説明の正当性への対応が必要だ からです。
最後にあげる矛盾点は、すべての要約となりますが、前衛派の芸術が、公認の芸術と変貌してしまったことです。現在プラド美術館にいくと、19世紀末の公なる芸術といえる、壮大なる作品群を見ることが出来ます。現在21世 紀初頭の公なる芸術作品は、いつも挑発的で、その作品の大きさは、収集家や個人の家では保存しきれないもので、それらは美術館をつくり上げた政治家の野心 を満喫させるものです。その大志というものは、若さの野望、若い芸術家をそばに置きたい望みで、頻繁に使われる表現【何々に託してみよう】という、新しい ことに託してみよう、断絶に託してみよう、目新しさに託してみよう、などです。でももしも、真新しさが規範となっているならば、どうように真新しさが在る のですか?
こ れらの点を基にして次の二つの質問をあげて意見していただきたく思います。1.芸術家はどのように形成されますか? どのように発言を見つけ、どのように 独自の道を見つけますか?。 2.二つめは、僕が思うには最初の質問同様とても重要なことだと思うのですが、大衆はどのように形成されますか? 鑑賞者は どのように教育されますか?
前 にあげました矛盾点が現代美術の状況の一部分を明確にするものだと思います。芸術家と大衆を形成する基本となる慣習は美術館だったと思います。この座談会 には重要なる美術館の館長であったフランシスコ・カルボ・セラジェルさんとホセ・ギラオさんがいらっしゃいます。プラド美術館館長であったフランシスコ・ カルボ・セラジェルさん、レイナ・ソフィア美術館館長であったホセ・ギラオさんに、美術館は芸術家と大衆である鑑賞者を養成する役割をまだ果たしているか という質問を思い切ってしてみます。
フランシスコ・カルボ・セラジェル  あなたが行った総括的なる前置きは、今日起こっている問題の核を突いていると思いますし、また美術館にも言い当てられると思います。フランス革命がつくり 上げた美術館は、これまで、殆どといっていいくらいのすべての美術館の模範となり、それは統一的であり、歴史的であり、そしてまた現状も含んでいました。 その後、継続的に危機が生じてきますが、その中でも19世紀末の危機が際立っていました。大衆による社会的拒否によるもので、その社会的な拒絶そのものの大衆やそのことによって生じる前衛芸術を保存するための足場になるあるいは代用になるものをつくり上げる要求が生じました。
逆 説的なことになるけれど、時間の経過とともにそれが形を変えてしまいました。当初においては、その目新しさだとか風変わりなために、耐え難いものとされて いた芸術運動でしたが、社会に受け入れられるまでは、その予備として、一時性を帯びていました。歴史に残るような正当な運動として変わろうとしなかったば かりか、歴史の一部としてのアイデンティティを拒む独立した実存となってしまったことです。付け加えますと、歴史ということは単なる昔のことではなく、20世 紀の歴史も含んでいて、今現状の美術だけを扱う美術館となることを望んでいます。そのことは実際のところ、あなたが言いたいことを物語っていて、社会全体 が記憶を脱ぎ取る考えに没頭していて先の見えない空の未来の上で活動していても、それがまた魅きつけられるものとして扱われているわけです。哲学的なある いは人類学的な視点からの論理での説明をしなければならないのかもしれないが、おそらくそれは僕たちにはまわってこないと思われます。20世紀も含めた過 去の歴史的作品の美術館が、なにかの利益関係として次から次へと現れてきているということと、興味深いことですが、ただ単に現状のみならず、将来の可能性 までも求めるということで、そういった意味で今日における美術館の危機は、かなり深刻であるといえます。その断絶は当然のごとく私たちが知ってる価値尺度 においては、深い危機を引き起こすことになります。
アントニオ・ムーニョス・モリーナ し かしながら今では前よりももっと人々が古い歴史のある伝統的な美術館に訪問する数が増えています。おそらくホセ・ギネオさんの経験は興味深いのではない しょうか。過去の作品を取り扱う美術館管理と、現在は今の時代に生まれている作品を扱っているわけですので。その過去と現在の境目という点から、どのよう にお考えでしょうか。
ホセ・ギラオ は い、でもカサ・エンセンディーダは美術館ではありません。僕はカルボ・セラジェルさんが言ったことに共感します。でも別に思うことは、それが前衛派あるい は美術界の一派のとる位置であると思います。素晴らしい作品の展示されているプラド美術館や一部に見られる壮絶なる所蔵作品を持つレイナ・ソフィアといっ た美術館で働くときに、実際に重要なことは大衆です。正真正銘の芸術作品の場合ですが、鑑賞者と一枚の芸術作品との出会いは、それは比類なき、繰り返すこ となきその人と作品との間に起こることであります。そのように大衆が過ごせるように、作品の周りに記述的言語や過度なる説明がないように準備しなければな らないと思います。というのは作品そのものが論証するからです。大作というものは論証するとおもいます。実際のところ現代美術の一部の派は記憶の無い現在 を弁護するものですが、でもたとえまだ美術館の危機が続くとしても、作品があり、その作品を見れる場所があるうちは、またプラド美術館がある限りは、いつ の日か、いつの時にか奇跡は起こると信じています。そういう意味では僕の体験においては、大衆は僕たちが思っているよりももっと美術を知っているし、見る 目や感を持っています。ということで危機はあるにしろ、でも救いも、あるいはこれらの危機からの救出もあるということです。
アントニオ・ムーニョス・モリーナ これらのテーマのうちで芸術家の学び方について、 どのように作品を創作するのか、頭に描く肖像をどのようにして創り上げるのか、どのようにして制作していくのかということ知ることは興味深いことだと思い ます。別の時代には、芸術家は学校や、流派・師匠のあとについていました。現在の芸術家たちはどのように制作しますか。たとえばセルヒオ・プレゴさんはど のようにしていますか?
セルヒオ・プレゴ 僕 の個人的な体験を言うと、すべて他の芸術家たちとの付き合いでした。それぞれに違った方法です。きっとジャウメ・プレンサさんとは違った意味での体験だと 思います。僕の場合はいつも親密なる関係と対話でした。大衆と芸術家の形成についての質問の提案について言えば、僕にとってはいつも大衆とは僕が対話する 人々のことです。その人たちが何らかの形として僕の作品を前にするたくさんの大衆を代表するのだと思います。僕にとってはそれが作品を制作するときに一番 大切なことです。
アントニオ・ムニョス・モリーナ ソ レダー・セビージャさんのグラナダとの関わりについて別の形として相互の影響や対話について思いつきました。あなたの制作活動の一部は過去や歴史との明瞭 なる対話でした。また別の部分についてはあなたの画家としての形成は、完璧に現代のものですが、でも一部の作品は伝統作品との会話から成り立ち、具体的に ベラスケスの「ラス・メニーナス」です。
ソレダー・セビージャ ス ペインでは世代による論点があると思います。今の若者たちはどんな教育を受けていますか? 私たちの時にはもっとアカデミックな教育でした。私の世代につ いて考えると、私たちは美術学校あるいは建築学校または哲学など大学で教育を受けた過程がありました。そのことは確かな基準として影響を及ぼします。でも 芸術家とその形成の基本となるものはその気構えの資質です。制作活動を続けているすべての芸術家たちの持続力と形成を支えているのは現実のところこの資質 であると思います。私の場合は過去と出会うきっかけとなったのはアメリカ合衆国での滞在でした。あそこでのすべての周囲の情況はとても違ったものでした。 私の過去と歴史を取り戻し、「メニーナス」の空間を思い起こしました。さらにアメリカにおいてアルハンブラ宮殿の作品の連作も始めました。アルハンブラは 継続する着想の深い原点でした。でも世代による姿勢の違いがあるということを踏まえなければならないと思います。そして芸術一般にしてもすべての芸術家た ちにも共通する根本があるということが重要な点です。でも私にとっては過去は私に着想を与えてくれました。
アントニオ・ムーニョス・モリーナ この座談会のはじめに問題点をお話しましたが、鑑賞者や美術愛好者が自由に評価出来るゆとりというものが非常に大切だと思います。18世 紀にすでに近代美術が始まって、この上ない並外れた意見がされて美学的な尊重から生理学から生まれた言葉を使われました。それはテイスト、好みです。これ は好きか?といういつも基となる質問を僕たちは自分に問いかけます。でもそれは好きでなければならないのか?というその裏側にある質問が介入していること です。もし僕が好きだというなら、僕は間違っているのか?もし僕が好きじゃないといえば、様式だとか種類だとかいったいろいろな文化的な先入観によって決 めているのか?好きだ、好きじゃないと、何回にも渡り、物議をかもし出したりしながらも思うままに発言した画家のエデュアルド・アロージョさんがいらっ しゃいます。鑑賞者、美術愛好家、収集家たちに、絵を見て、感嘆して、買う人たちが、好きだから、そうさせたい気持ちになるからと言える余地がまだありま すか?
エドゥアルド・アロージョ まずはじめにいえる事は、僕は1958年 にパリで絵を学びました。そのときにはポロックよりもモジリアーニの作品に近い位置にいました。その年にパリに着いた僕は生まれて初めて現代美術絵画を見 ました。僕が現在関心を持っているのは、非常に好奇心をそそるような形でスペインに定着した問題です。たとえば、スペインでは前の時代において検閲される のに僕たちは慣れていました。今の時代において実際に定着していることは自己における検閲と恐怖です。このことは非常に関心をそそることで、なぜかといえ ばはっきりと思うのですが、《アルコ》は国際化による解決の方法に向かっていて、それがよいことなのか私には分かりませんが《バーゼル》だとか《マイア ミ》だとか《上海》に似通ったようにすることで、2割のスペインのギャラリーと8割 の外国のギャラリーの出展の割合となっているわけです。国際的なということがなにを物語るのか分かりませんが、これらのアートフェアが完璧に画一化に行き つつあるということです。このフェアの主人公になっているのは矛盾していることですが、顔もない署名もない画家たちで、彼らはレビヤタンだったり、トゲト カゲだったりして、現実には雑兵です。これらの若者たちが誰のものか分からない共有する独自で はない作品を制作しますが、それは非常につまらない作品で、なぜなら美術市場は非常に程度の低いものと変わってしまったからです。特にいえることは、作品 が非常に装飾的になってしまったことです。まあ、でもかなり天真爛漫の挑発のある一連もあります。いつものことですが、若者が挑発的なことは愉快なこと で、素晴らしいことだと思います。  
最 近のことですが美術収集家の家の写真を見たのですが。興味深いことに壁にかけられた絵画の数々はモケット織りじゅうたんの上にあるブランド家具よりも値が 下がるものでした。これは芸術収集と全くいえるものではなく純粋なる装飾です。良質なるとか低いレベルのギャラリーがあるにしろ、それらのギャラリーが絵 の見方を知らなかった収集家たちに、ほらこんな絵を見てみなさい、といった具合に教えていたし、教えたいという気持ちがありました。その教えるということ を完全に終結させることとなります。由緒のあるギャラリーをこの ようなコンクールから追い出すことは、フェアを退屈極まりない物に変えてしまうだけです。離脱者という像を創り上げなければなりません。フェアから追い出 されたギャラリーと、フェアに入れなかったギャラリーに忠告することは、もう戻ってこようと思うなということです。主体独自性を失う、自由を失う、検閲が 入るフェアは価値のあるものではありません。《アルコ》《バーゼル》は怖さと検閲を作り上げ、そしてさらにこれらのかわいそうな不運なるギャラリー主たち にバルデスやエドゥアルド・アロージョ、そのほかの作品を展示することの怖さを与えています。そんなわけでギャラリーがこのフェアから離脱できるために、 また彼らを待っていないところの門を叩くのは無駄なことなんだよ、ということを理解させるために僕は、彼らとともに本気になって活動をしているところで す。それだけです。
アントニオ・ムーニョス・モリーナ  ヨー ロッパとスペインにおいて難解なるテーマがあります。それは公共機関と個人機関との間の関係です。カルメン・ヒメネスさんにお尋ねしますが、まだ世に知ら れていない芸術を知らせるというために明白なる公的政策はどのような方法を取っているのかということと、どのようなことがその努力を水の泡にしてしまうか ということです。
カルメン・ヒメネス 私は、スペインでは少し特例な使命を果たしました。というのは1983年 にハビエル・ソラーナ氏に国立展覧会センター所長に任命され、私の使命は外国におけるスペイン美術の促進でした。あのときにはスペインは新生な国、はつら つとした国と言うイメージを外国に示す、あるいは若い芸術家たちの作品を国外において披露しようという案はすでにありました。また別の使命はスペインが国 際美術流通圏に入り込むというものでした。最初に申しました使命については、大きな挑戦でしたが、絶大なる関心がありましたので複雑な問題はありませんで した。スペインは既に開かれた国で、すべての人々は、作品の貸出しに協力してくれ支えてくれました。
でも外国でスペイン美術の普及を促すことは難しいことでした。そうして実際国内外における現状の把握に努め、1987年にはパリで「5世紀にわたるスペイン美術展」を行うまでの到達点までいたりました。そこでその展覧会に展示されなかった芸術家たちから私は非難をあびました。 
一番最近参加したのはカッハマドリード公募主催する《ヘネラシオン(世代)》と称する一年ごとに開催されるコンクールの委員会でした。そのコンクールが10周年を迎え受賞者の中から私たち委員会が芸術家たちを選んで、スペインでの展覧会の後に、ニューヨークでも展示するというものでした。そこで異様に思ったのは9割の芸術家たちがバスク地方の出身だったことです。説明を受けたところによれば、このヘネラシオン芸術の養成学校はサン・セバスティアンのArteLekuであり、バレンシアではIVAMで あるということです。でもマドリードにもバルセローナにもありません。興味深いことに他の地方には同じ養成校がありません。危惧するのはこの新しい世代 は、過去について知りたがらないということです。ただひとつ知りたい過去は、ブルース・ナウマン、ジェフ・クーンズ、ダミアン・ハーストで、でもその前の 世代の芸術家たちのことは知りたがりません。スペインにおいては教育という問題は重大です。
ジャウメ・プレンサ 思 うに私たちはそれぞれの芸術家たちの成り立ちにおいての大切なものについて話さないと思います。それは時間です。私たち芸術家の日常生活に美術館が入り込 んでいるということは、ある種の仰天と怖さを与え、たくさんの若い芸術家たちは悪い方向に向かっています。僕が言いたいのは、芸術家の形成における正常な る時間を与えていないということです。思うのはすべて誰かに守られているということは複雑なことです。人間は守られていません。ある移民がここに着いたと きに、洋服を与える文化庁なんてものはありません。芸術は密林だと思います。その密林の中で時間をかけて学ばなければなりません。黒い絵の連作のすべてを 描かなかったならばゴヤが存在していたと考えるのはおかしなことです。そのときにはゴヤは既に偉大な画家でしたが、でもゴヤではありませんでした。しかし その連作を描いたのは60代でした。今日において自分のやってきたことが正しかっただろうかと60歳まで待つ芸術家を想像してみてください。 
エドゥアルド・アロージョ 今日において芸術家は完全に独りです。自分ひとりで闘っています。そばに誰かがいて欲しいなどとは思っていません。ギャラリーとの関係はあやふやで困難です。というのはギャラリー側も芸術家の好きなようには言わせません。どうしてかといえばギャラリーはARCOに 来れなくなるのが怖いからです。芸術家は完全に飼いならされた人間となりつつあります。これは重大なことです。そして背徳行為があります。そのことについ ては話し合っていませんでしたが、美術市場における堕落です。以前は需要と供給にのみ僕たちは左右されていました。でも現在においては公的機関という別の 市場があります。この公的機関による市場でのみ作品を制作する芸術家がいます。どうしてかといえば、その作品の本質性というかその作品をヴィカルバロのア パートには入れ込むことが出来ないからです。今日においては美術館が芸術家に依頼注文をします。このことが一般化したことはソビエト連邦化です。お聞きの 通り一層の悪化をたどっています。人々は美術館に入りたがり、美術館のために制作したがっています。空間について話しますが、作品については話しません。 一人の芸術家 はひとつの作品を制作します。少なくとも僕はそう思ってきましたが、その作品の行方は分からないのです。この作品でジャガイモが食べられるのか、その作品 がアトリエに残るのか、あるいは逆にそれを売るのか、あるいはもしかして、もしかして仮定としてある美術館が買うのかもしれない。でも付け加えたいことは この国のこの荒れ果てた荒野にて起こっている問題の中心人物は報道機関です。彼らが今日あるすべてのことを僕たちに与えたわけで、それは美術館と芸術で す。スペインにおいてはすべてのマスメディアがページというページを割いて芸術について語っています。このことはみなを驚かせます。多くの場合ですが、新 聞に載っている、誰なのか知らない芸術家の作品の記事を切り取り、僕のギャラリーに行って言います。この人が何者なのか調べて、切望してるのだから、会い にいってごらん。

翻訳 小田照美

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