2008年7月 3日 (木) Fregmentos puentefuente
英語・スペイン語の翻訳家であったマティルデ・オルネ Matilde Horneが、2008年6月10日火曜日居住先のイビサの老人ホームにて94歳で亡くなった。本名は、マティルデ・サガルスキ。1914年にブエノス・アイレスに生まれた。英語とフランス語は、読みながら独学し、翻訳をしながら翻訳を学んだ。「読みながらね、魂を入れ込むこと、それが見えること、聞こえることの向かう側にあるものを受け止められる唯一の方法なの。」(2007年1月にエル・パイス新聞に掲載されたインタビューから。以下同様)読み書きのための視力が衰える86歳まで約50年
間翻訳を続けた。レイ・ブラッドベリ、ロレンス・ダレル、アーシュラ・K・ル・グイン、スタニスワフ・レム、ジェームス・ボールドウィン、アンジェラ・
カーター、クリストファー・プリースト、ドレス・レッシング、ブライアン・W・オールディス、ウイリアム・カルロス・ウイリアムズなどの文藝作品を翻訳。
ジョン・ロナルド・トールキンの『指輪物語』の翻訳者として最も知られている。またアルゼンチン時代には、精神分析協会のためにも翻訳をし、時々スペイン
語から英語へも翻訳をしていたそうだ。「イギリス人の精神分析者たちが言うには、ネイティブの翻訳者が書いた英語の文よりも、わたしの翻訳英文の方が理解
しやすいといってたの。」アンゼンチン時代には既に翻訳家としての名声があり、ロレンス・ダレルの「アレキサンドリアの四重奏」の『クレア』の翻訳でアル
ゼンチンの芸術賞を受ける他、スダアメリカ、ミノタウロ、エダサ、グルーポ・エディトール、アモロルツなどの出版社が翻訳を依頼していた。1978年に軍事独裁政権で抑圧された故郷を他の多くのアルゼンチン国民のように離れ、二人の子供たちを連れてスペイン・バルセロナに移住した。バルセロナには翻訳仲間であり友人のパコ・(フランシスコ)ポルアが住んでいた。パ
コ・ポルアは、ジョン・ロナルド・トールキンの主要作品をスペイン語に翻訳し刊行することに着眼し、自らの出版社ミノタウロで出版した。三部作、『指輪物
語』の第一部は、ペンネームのリュイス・ドメネクとしてポルア自身が翻訳し、第二部と第三部の翻訳は、マティルデ・オルネとの共同翻訳として現在も版を重
ねて刊行されている。
「翻訳するのにかなり難しかったけれど、でもかなり気に入られたようです。とてもきれいで、詩情に溢れているといわれました。でもトールキンの作品に詩情が溢れているとは、私は全く感じませんでした。20歳のときに『指輪物語』を読むべきだったのかもしれません。60歳
にもなると世の中を知っている年ですから、書かれているいろいろなことが虚偽のように思えました。結局のところ読むに相応しい年齢に読まなかったというこ
とです。」この第二部と第三部の『指輪物語』の翻訳にマティルデは、二年とちょっとの歳月の間つぎ込む。この翻訳の仕事を終えてからも、ミノタウロ社や他
の出版社からの依頼で文藝翻訳の仕事を続けていた。
2001年にサイエンス・フィクションと空想文学を専門としていたミノタウロ社を、大手出版グループ・プラネタが買収したのは、ピーター・ジャクソン監督の『指輪物語』の第一部の映画が封切りされる9日前のことだった。映画は大当たりし、百万人を超える観客動員数となり、この年にトールキンブームが巻き起こったものの、マティルデにとっては何の関わりもない出来事かのようであった。50年間の翻訳の決算として、マティルデは6000ユー
ロ(百万円)を受け取った。「お金の価値に対する観念というものを持ったことがなかったものですから、そのときにはよいと思いました。でも何の足しにもな
らない金額だと後で気がつきました。そうしてポルアに再びあって何かの間違いではないかといいました。ポルアがいうところでは、グループはわたしに出来る
限りの支払いの申し出をしたといい、もともと著作権抜きの作品の権利を欲しがっていたといいました。そうしてわたしは置き去りとなってしまいました。」ス
ペイン出版組合連盟の2005年の統計報告書によれば、『指輪物語』は、年間読書ランキングでは7番目に多く読まれ、書籍販売部数ランキングでは10位だったそうだ。スペインでの翻訳著作権の法令化は20年前の1987年に制定され、出版社と翻訳者との間の契約書によって、販売部数が20万部を越えた時から、翻訳者は翻訳の著作権分の支払いを受け取れるということだ。
インタビューは、マティルデが92歳のときに行われた。月に300ユー
ロの年金を受け、イビサ島の老人ホームにて車椅子の生活をしていた。「必要なものはすべてあるようにも思えます。食べれるし、部屋もあります。光、空気、
活力を授けてくれる天に感謝しています。独りでいることもできるけれど、でもこんな風にではなくね。」実際マティルデは独りぼっちともいえた。施設に住む
多くの老人たちはイビサの農民の話し言葉で話すので、マティルデには理解することができなかった。「ニワトリの鳴き声みたいに聞こえるのよ。」と笑ってい
た。「私はこの年まで長生きするとは思ってもいませんでしたが、今でももっと生きたいと思っています。」
このインタビューの二ヵ月後の2007年3月には、翻訳者組合協会の仲介交渉により、プラネタ・グループは、2001年からの翻訳著作権分を6ヶ月ごとに支払う事となったと報道されていた。
86歳の時に翻訳の仕事をやめてからは、頭の中で文章を書き続けていた。「llovizna リョビスナ(霧雨)という言葉はとても美しいと思います。あのどもったような音節のエリェの後に続く響きが大好きです。」
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